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観客席の片隅で、私は懐から一枚のシールを取り出した。それは、何の変哲もない事務用のラベルシールだ。しかし、そこには私の手書きで、呪文のような四文字が記されている。
**「ひな人形」**
私の妄想は、この小さな紙切れ一枚で現実を塗り替える。
「……さあ、始めようか」
彼女たちが大きく弓を引き絞り、精神の集中が最高潮に達したその瞬間だった。私はあらかじめ仕掛けていた「概念」を、前列に並ぶ彼女たちの額へ、一斉に貼り付けた。
パチン、という不可視の音が響いた。
その瞬間、道場の空気が凍りついた。一点を凝視していた彼女たちの鋭い眼光から、一気に「生気」という名の光が抜け落ちていく。黒目から焦点が消え、まるでガラス玉をはめ込んだような、底の知れない虚無へと変貌した。
「あ……」
誰かが小さく、糸が切れたような声を漏らす。
構えていた右腕から力が失われ、極限まで引き絞られた弦が、制御を失って弾けた。
バシュッ、ドシュッ!
狙いを失った矢は、あるものは天井を突き刺し、あるものは明後日の方向へと虚しく散っていく。四方八方へと飛散する矢の群れは、彼女たちの理性が崩壊した合図でもあった。
続いて、静寂の中に「ガタン、ガタン……」と、重々しくも空虚な音が鳴り響いた。
彼女たちが長年愛用してきた、魂とも呼べる弓が、その手から零れ落ちて床を打つ音だ。
だらん、と両腕を下げた彼女たちは、もはや重力に抗う意思すら持たない。崩れ落ちるように両膝を床につき、その場で静止した。
この数秒間が、彼女たちの内側で「人間」が消えていく黄金の時間だ。
脳裏を埋め尽くしていた修練の記憶、将来への希望、そして確固たる自己――。それらすべてが薄れ、霧散していく。代わりに満たされるのは、ただ一点を見つめ、飾られるためだけに存在する、無機質な器としての自覚。
やがて、彼女たちは何かに取り憑かれたような規則正しい動きを見せ始めた。
ガクガクとぎこちなく、しかし完璧な所作で正座し、両手は指先まで揃えて膝の上へ。背筋をピンと伸ばし、顎を引き、顔は真っ直ぐ正面だけを向く。
そこにはもう、弓を射る乙女などいない。
そこに鎮座するのは、華やかな衣装に身を包んだ、魂のない「ひな人形」の群れだった。
私は、彼女たちの足元に転がった弓を見下ろす。この立派な弓も、今や五月人形の脇に置かれる「弓太刀」程度の玩具にすぎない。
「よく似合っているよ。これからは、私の部屋で永遠にその美しさを誇っていればいい」
私は満足げに微笑み、一列に並んだ美しい「人形たち」を、一人ずつ丁寧に梱包し始めた。
五段飾りの最上段に並べるのは、どの子にしようか。そんな幸福な悩みを抱えながら。