• 29大阪の権助、楠木正成
    2024/02/08(木) 23:20:19 ID:udVNnT/w0
    >『通州事件 Sさんの体験談』
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    https://nezu3344.com/blog-entry-4942.html
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    >1937年7月7日(水) 盧溝橋事件
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    >1937年7月29日(木) 通州事件
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    >調寛雅著「天皇さまが泣いてござった」から、「Sさんの悲劇」の転載をさせていただきます。
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    >Sさんは実際に通州事件を体験なさった日本人女性で、佐々木テンさんと言います。
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    (中略)
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    >妊婦の人を仰向けにしました。
    するともうさっき下着は取られているので女性としては一番恥ずかしい姿なんです。
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    >しかも妊娠七ヶ月か八ヶ月と思われるそのお腹は相当に大きいのです。
    >国民政府軍の兵隊と見える兵隊がつかつかとこの妊婦の側に寄って来ました。
    >私は何をするのだろうかと思いました。
    >そして一生懸命、同じ人間なんだからこれ以上の悪いことはしてくれないようにと心の中で祈り続けました。
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    >だが支那人の兵隊にはそんな人間としての心の欠片もなかったのです。
    >剣を抜いたかと思うと、この妊婦のお腹をさっと切ったのです。
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    >赤い血がパーッと飛び散りました。
    >私は私の目の中にこの血が飛び込んで来たように思って、思わず目を閉じました。それ程この血潮の飛び散りは凄かったのです。
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    >実際には数十メートルも離れておったから、血が飛んで来て目に入るということはあり得ないのですが、あのお腹を切り裂いたときの血潮の飛び散りはもの凄いものでした。
    >妊婦の人がギャーという最期の一声もこれ以上ない悲惨な叫び声でしたが、あんなことがよく出来るなあと思わずにはおられません。
    お腹を切った兵隊は手をお腹の中に突き込んでおりましたが、赤ん坊を探しあてることが出来なかったからでしょうか、もう一度今度は陰部の方から切り上げています。
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    >そしてとうとう赤ん坊を掴み出しました。その兵隊はニヤリと笑っているのです。
    >片手で赤ん坊を掴み出した兵隊が、保安隊の兵隊と学生達のいる方へその赤ん坊をまるでボールを投げるように投げたのです。
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    >ところが保安隊の兵隊も学生達もその赤ん坊を受け取るものがおりません。
    >赤ん坊は大地に叩きつけられることになったのです。何かグシャという音が聞こえたように思いますが、叩きつけられた赤ん坊のあたりにいた兵隊や学生達が何かガヤガヤワイワイと申していましたが、どうもこの赤ん坊は兵隊や学生達が靴で踏み潰してしまったようであります。
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    (以下略)
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