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>『ホテル・サンバレー那須』
>ホテルサンバレー那須は大人から子どもまで楽しめる“温泉リゾート”。那須温泉を含む3種の異なる源泉のある温泉施設「湯遊天国」とアクティブに遊べる温泉プール「アクア・ヴィーナス」など各種温浴施設がございます。日帰り温泉のご利用も可能です。
>ホテル・サンバレー那須は、宿泊棟毎にチェック・インする方式なので、「オリエンタル・ガーデンのフロント」でチェック・インします。
>オリエンタル・ガーデンの魅力の一つが、ロビー・ラウンジでの飲み放題。フリー・ドリンク・カードの購入で80種類の酒類が飲み放題になり、ラスト・オーダーまで利用出来るので猛烈にお得。ソフト・ドリンクの飲み放題もあります。他の宿泊棟の宿泊者も利用可能ですが、満喫するならオリエンタル・ガーデンの宿泊者が断然有利。フリー・ドリンク・カードの詳細は、公式サイトでご確認下さい。
>『那須高原りんどう湖ファミリー牧場』
>ジップライン~KAKKU~
りんどう湖上をワイヤーで滑空するジップライン。片道220mは日本最長クラス、湖上滑空は世界初。
>GoGoゴーカート
1人乗り用・2人乗り用の2種類がある。
>ファミリー自転車
大人4名、幼児2名が乗車可能。大人席のみペダルがある。
>『ジャパン・スネーク・センター』
>群馬県太田市藪塚町
>野外放飼場(屋外飼育施設)
ヘビとカメの野外飼育場があり、アオダイショウ、シマヘビ、タンビマムシ、ケヅメリクガメを露天の囲い内で飼育している[6]。
>毒蛇温室
主に毒蛇を中心として飼育されている温室棟。ガラガラヘビ、キングコブラ等が居る[6]。
>大蛇温室
ニシキヘビ、ボア等、大型の蛇を中心に飼育されている温室棟。かつては海蛇も飼育されていた。
>熱帯蛇類温室
最も新しい施設。原宿・北海道での毒蛇事件で押収された蛇が飼育されている。猛毒のグリーンマンバやブラックマンバ等。
>資料館
収蔵した骨格標本や透明標本、剥製などが展示してある。白蛇や海蛇、大型のボアやアナコンダ等。変わったところではツチノコ関連の資料も含まれている。
>採毒室
毒蛇の血清を作成するための採毒を行う施設。見学者向けに、ハブの採毒の実演が行われる他、繁殖させたヘビの幼蛇も展示されている。 -
>『ザ・ヒロサワ・シティー』(茨城県筑西市)
>主な施設
>レールパーク
レールパークでは11両の車両が各方面から譲渡され、展示されている[9]。
・日本国有鉄道 D51 1116 - 千葉県の個人宅から譲渡[10][11][12][13]。
・東日本旅客鉄道 EF81 138
・東日本旅客鉄道 E224-127(E2系J14編成10号車) - 2018年11月譲渡[14][15]
・東日本旅客鉄道 オロハネ24 551・オハ25 503・オハネフ25 12・スシ24 505「北斗星」
・鹿島臨海鉄道 7001・7002「マリンライナーはまなす」
・関東鉄道 キハ101・キハ102
>クラインガルテン(短期・長期滞在型農業体験施設)[27]
>国立科学博物館が民間と連携の航空博物館オープン 茨城 筑西
2024年2月11日(日) 11時59分 NHK
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20240211/1000101981.html
>国立科学博物館が民間施設と初めて連携し、戦後初の国産旅客機「YS11型機」などを展示した航空博物館が茨城県筑西市にオープンしました。
2024年2月11日(日)、オープンした「科博廣澤航空博物館」は、筑西市にある民間施設「ザ・ヒロサワ・シティー」の中にあり、1,800平方メートル余りの格納庫に、航空機8機が展示されています。
>多くは国立科学博物館が所蔵するもので、戦後初の国産旅客機「YS11型機」の量産1号機のほか、旧日本軍の戦闘機「ゼロ戦」、南極観測隊のカラフト犬、タロ・ジロを救出したヘリコプター、「シコルスキーS58型機」などが紹介されています。
>これまで東京・上野の本館や羽田空港などで保管されていましたが、より広いスペースで多くの人に見てもらえるよう、民間施設と連携しての初めての展示となりました。
>見学に訪れた女性は、「実物の機体を見られて感動しました。思わず乗ってみたい気持ちになりました」と話していました。
>国立科学博物館研究推進・管理課の関根則幸課長は、「私たちの航空遺産をようやく公開できて大変うれしいです。幅広い世代の人たちに実物の迫力を味わってほしいです」と話していました。
>『筑波山』
>筑波山(つくばさん)は、日本の関東地方東部、茨城県つくば市北端にある標高877 m(メートル)の山。筑波山神社の境内地で西側の男体山(標高871 m)と東側の女体山(標高877 m)からなる。雅称は紫峰(しほう)。筑波嶺(つくばね)とも言い、茨城県のシンボルの一つとされている[1]。
>梅林
>毎年2月中旬から3月中旬に開催の「筑波山梅まつり」では、ガマの油売り口上、甘酒・梅茶のサービス、茶会などが催される
>ケーブルカー
>筑波山神社拝殿横の宮脇駅より男体山山頂近くの御幸ヶ原まで筑波山ケーブルカーが運行される。宮脇駅は関東鉄道などの「筑波山神社入口」バス停下車、徒歩(門前町を通り抜ける)。宮脇駅に近い「筑波山神社前」への一般路線バス乗り入れ廃止により、路線バス停留所とケーブルカー駅の間の距離は廃止前より200 mほど長くなり、さらに経路上には坂道や石の階段も存在するため、移動におよそ20分ほどを要する(途中には土産物店、そば店などの店、神社拝殿があり、この経路も観光・参詣の一環である)。
>ロープウェイ
>つつじヶ丘レストハウスに併設されたつつじヶ丘駅より女体山山頂まで筑波山ロープウェイが運行される。つつじヶ丘駅は関東鉄道などの「つつじヶ丘」バス停前である。
>オリエンテーリング
>オリエンテーリングのパーマネント・コースも整備されている。行楽客が多く訪れ、ゴールデン・ウィークや秋の紅葉シーズンには交通渋滞が深刻なため、茨城県、つくば市、筑波大学などにより「筑波山周辺渋滞対策協議会」が設けられるほどである[23]。 -
>全国5園が「カピバラ長風呂対決」
2022/12/05(月)
https://www.asahi.com/and/article/20221205/423351828/#:~:text=%E5%85%A8%E5%9B%BD5%E5%9C%92%E3%81%8C%E3%80%8C%E3%82%AB%E3%83%94%E3%83%90%E3%83%A9%E9%95%B7%E9%A2%A8%E5%91%82%E5%AF%BE%E6%B1%BA%E3%80%8D&text=%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%87%AA%E7%84%B6%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%81%A8%E4%BC%8A%E8%B1%86%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9C%E3%83%86%E3%83%B3%E5%8B%95%E7%89%A9,%E3%82%92%E6%AF%8E%E5%B9%B4%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
>埼玉県こども動物自然公園と伊豆シャボテン動物公園、長崎バイオ・パーク(長崎県)、那須どうぶつ王国(栃木県)、いしかわ動物園(石川県)の5園ではカピバラの入浴時間を競う「長風呂対決」を毎年行っています。
★那須どうぶつ王国は内湯が人間用、露天風呂がカピバラ用になっているらしい。
★伊豆シャボテン動物公園では、毎年11月下旬から翌4月初旬まで、カピバラ・ファミリーが露天風呂に浸かる姿が多くの来園者を和ませています。 -
>『殺生石』Wikipedia
>伝説の概要
>以下には『絵本三国妖婦伝』に記載されている伝説を記す。
>最初は藻女(みくずめ)と呼ばれたとされ、子に恵まれない夫婦の手で大切に育てられ、美しく成長した。18歳で宮中で仕え、のちに鳥羽上皇に仕える女官となって玉藻前(たまものまえ)と呼ばれる。その美貌と博識から次第に鳥羽上皇に寵愛されるようになった。
>しかしその後、上皇は次第に病に伏せるようになり、朝廷の医師にも原因が分からなかった。しかし陰陽師・安倍泰成が玉藻前の仕業と見抜く。安倍が真言を唱えた事で玉藻前は変身を解かれ、九尾の狐の姿(『玉藻の草子』では二尾の狐として描かれている)で宮中を脱走し、行方を眩ました。
>その後、那須野(現在の栃木県那須郡周辺)で婦女子をさらうなどの行為が宮中へ伝わり、鳥羽上皇はかねてからの那須野領主須藤権守貞信の要請に応え、討伐軍を編成。三浦介義明、千葉介常胤、上総介広常を将軍に、陰陽師・安部泰成を軍師に任命し、軍勢を那須野へと派遣した。
>那須野で、既に九尾の狐と化した玉藻前を発見した討伐軍はすぐさま攻撃を仕掛けたが、九尾の狐の妖術などによって多くの戦力を失い、失敗に終わった。三浦介と上総介をはじめとする将兵は犬の尾を狐に見立てた犬追物で騎射を訓練し、再び攻撃を開始する。
>対策を十分に練ったため、討伐軍は次第に九尾の狐を追い込んでいった。九尾の狐は貞信の夢に娘の姿で現れ許しを願ったが、貞信はこれを狐が弱っていると読み、最後の攻勢に出た。そして三浦介が放った二つの矢が脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけたことで、九尾の狐は息絶えた。
>その後、九尾の狐は巨大な毒石に変化し、近づく人間や動物等の命を奪うようになった。そのため村人は後にこの毒石を『殺生石』と名付けた。この殺生石は鳥羽上皇の死後も存在し、周囲の村人たちを恐れさせた。鎮魂のためにやって来た多くの高僧ですら、その毒気に次々と倒れたが、南北朝時代、会津の元現寺を開いた玄翁和尚が殺生石を破壊し、破壊された殺生石は各地へと飛散したといわれる。
>玉藻前の経歴は中国古代王朝殷にまで遡る。殷の最後の王である紂の后、妲己の正体は齢千年を経た九尾の狐であり、王の妾であった寿羊という娘を食い殺し、その身体を乗っ取って王を惑わせたとされる。王と妲己は酒池肉林にふけり、無実の人々を炮烙の刑にかけるなど、暴政を敷いたが、周の武王率いる軍勢により捕らえられ、処刑された。またこの処刑の際に妲己の妖術によって処刑人が魅せられ首を切ることができなくなったが、太公望が照魔鏡を取り出して妲己にかざし向けると、九尾の狐の正体を現して逃亡しようとした。太公望が宝剣を投げつけると、九尾の体は三つに飛散した。
>歌川国芳による斑足王と九尾の狐
>しかしその後、天竺の摩竭陀(まがだ)国の王子、斑足太子(はんぞくたいし)の妃華陽夫人として再び現れ、王子へ千人の首をはねるようにそそのかすなど暴虐の限りを尽くしたが、耆婆(きば)という人物が夫人を魔界の妖怪と見破り、金鳳山中で入手した薬王樹で作った杖で夫人を打つとたちまち九尾の狐の正体を現し、北の空へ飛び去って行った。
>周の第十二代の王、幽王の后、褒姒も九尾の狐とされる。褒姒がなかなか笑わないので、幽王はさまざまな手立てを使って彼女を笑わそうとし、ある日何事もないのに王が烽火(のろし)を上げ、諸侯が集まったという珍事に初めて笑ったといわれ、それを機に王は何事もないのに烽火を上げ、諸侯が烽火をみても出動することが無くなり、後に褒姒(ほうじ)により后の座を追われた申后の一族が周を攻めたとき、王は烽火を上げたが諸侯は集まらず、王は殺され、褒姒は捕虜にされたが、いつの間にか行方知れずとなっていた。後に若藻という16歳ほどの少女に化け、吉備真備の乗る遣唐使船に同乗し、来日を果たしたとされる。
>玉藻前のモデルは、鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)ともいわれる[9]。摂関家などの名門出身でもない彼女が皇后にまで成り上がり、自分の子や猶子を帝位につけるよう画策し中宮待賢門院(藤原璋子)を失脚させ、崇徳上皇や藤原忠実・藤原頼長親子と対立し保元の乱や平治の乱を引き起こし、更には武家政権樹立のきっかけを作った史実が下敷きになっているという(ただし、美福門院が実際にどの程度まで皇位継承に関与していたかについては諸説ある)。
>中世の貴族の館が残る英国のコッツウォルズ地方。その田舎町の風景と那須高原の風景がどこか重なります。そんな石造りの貴族の館<マナーハウス>が似合う場所…那須高原。那須ステンドグラス美術館は、マナーハウスをモチーフに建物の資材をはじめ、工法まですべて本物にこだわって建てられています。美術館の敷地に足を踏み入れると、まるで日本にいることを忘れてしまうような雰囲気に包まれ、穏やかな時間が流れます。館内には、1800年代中心のアンティークステンドグラスが配され、セント・ラファエル礼拝堂の壁一面のステンドグラスは、その美しさに目を奪われるほどです。
>ステンドグラスの優しい光とアロマの香り、美しい造形物、パイプオルガンやオルゴールの音色、那須のやわらかな風に包まれた空間で日常を忘れて、どうぞ、ゆったりとお過ごしください。