新浪剛史は中国共産党の操り人形
>『課外授業 (Lezioni Private)』
>製作年
1975年
>製作国
イタリア
-
>課外授業
1976年12月25日(土)公開
>美しい年上の女教師を慕う少年の行動を軽快なタッチで綴った青春の詩。製作はエンツォ・ドリア、監督はこれがデビューのヴィットリオ・デ・システィ、脚本はデ・システィとパオラ・ブリジェンティ、撮影はマリオ・マシーニ、音楽はフランコ・ミカリッツィが各々担当。出演はキャロル・ベイカー、ロッサリーノ・チェラマーレ、レオポルド・トリエステ、レオノーラ・ファニなど。
>ストーリー
>アメリカからイタリアの片田舎の音楽学校にピアノ教師フロメンティー(キャロル・ベイカー)が赴任した。その日からアレッサンドロ(ロッサリーノ・チェラマーレ)は先生に想いを寄せる。「先生のせいよ、変ね」、彼の親友ガブリエル(レオポルド・トリエステ)の仲良しの妹パオラ(レオノーラ・ファニ)がからかった。ある朝、登校中偶然にアレッサンドロは先生に会い、彼女に想いをほのめかす。そんな彼に対する答えは、「約束してね、私の事はどう想っても、恋は若い子とするって」。恋でなければ--? 謎めいた言葉にアレッサンドロの胸は高鳴る。ある日、ガブリエルは家路を急ぐ先生の後をつける。行きずりの男をうつろな瞳で見つめ慌てて目をそらす彼女。どうやら学位を取る為、青春を犠牲にした彼女の毎日は味けないものらしい。翌日、彼は彼女の部屋をのぞき、カメラで自慰にひたる彼女を盗み撮る。最近浮かなく成績の落ちたアレッサンドロを心配した母親は、原因が先生にあるとも知らず、彼女を家庭教師に頼む。二人きりでピアノを弾くことがで喜ぶアレッサンドロだか、日毎に彼女の様子が沈みがちになってくる。学校では胸の透けたブラウスを着たり、脚を広げて座る彼女。アレッサンドロは悲しく、女性が信じられなくなる。そんな彼をからかい、彼女に厭がらせをするガブリエル。すっかり厭になったアレッサンドロは田舎の伯父の家に向う。伯父とその愛人ローザにより元気を取り戻した彼は、パオラの家を訪ねた。そしてその時、ふとした偶然でガブリエルの部屋で盗み撮った写真を見つける。ガブリエルは先生を脅迫してたのだ。彼女に対する不信感は一気に解消し、写真を彼女の手に戻した夜、彼は大人の仲間入りをする。先生との甘美で幸せな一夜。先生が帰国した日、むせかえるような緑の草原でアレッサンドロは恥じらうパオラと幸せに結ばれる。「恋は若い子とするのよ」と教えてくれた先生の言葉通りに。
【You】
1975年のイタリア映画『課外授業 (Lezioni Private)』
アレッサンドロの親友ガブリエルがピアノ教師フロメンティーの帰路を尾行した時、フロメンティーは行きずりの男をうつろな瞳で見つめ慌てて目をそらした。
この時のフロメンティーの心理状況を説明せよ。
アレッサンドロの家庭教師になった頃から、フロメンティーが沈みがちになり、学校で胸の透けたブラウスを着たり、脚を広げて座るなどアレッサンドロにとってショッキングな変化が起きた。
そんなフロメンティーに対してガブリエルは どんな嫌がらせをしたか?
フロメンティーに対するガブリエルの振る舞いには、1973年のパリ和平協定によってベトナムから撤退させられたアメリカに対するイタリア人の思いがオーバーラップしている。
禁酒法(1920年~1933年、合衆国憲法 修正18条)を施行するなどイタリア人には想像もつかない程 禁欲的なピューリタンの優等生の国アメリカに対し、長きに亘りコンプレックスを抱いていたイタリア人。
しかしピアノ教師フロメンティーが学校からの帰路、通りがかったイタリア人の男を物欲しそうに見詰め、自宅で その男を思い出して自慰行為に耽っているのをガブリエルが目撃してしまう。
それは敗戦国のイタリア人の前であれ程 自信に満ち溢れていた戦勝国のアメリカ人が恥ずかしい姿を覗き見られた瞬間だった。
そこでガブリエルは図に乗って、それまで自信に満ち満ちていた禁欲的なピューリタンの優等生フロメンティーの本当の姿を、アメリカ人の前で萎縮する同級生達に見せたくなったのである。
アレッサンドロも同級生達と同様、「ガブリエルによる秘密の暴露」に一旦はショックを受けるが、フロメンティーの秘密がガブリエルの卑怯で幼稚な覗き見によって明らかになったのだと気づき、フロメンティーに救いの手を差し伸べて結ばれるアレッサンドロであった。
ファシスト党のイタリア人は表社会の流儀に則ってアメリカ人と戦い第2次世界大戦で敗退した。
一方、ガブリエルのフロメンティーに対する“勝利”は、私生活の覗き見という裏社会の流儀によってもたらされたものであり、卑怯で尚且つ幼稚だった。
禁酒法に見られたようなアメリカ人の禁欲的なピューリタニズムが上辺だけの『優等生的な振る舞い』であったことは確かであり、性生活に関しても全く同じであった。
20世紀後半の西側諸国では、未成年と性的な関係を持つ年上の女性の振る舞いに社会が寛容だったことが分かる。
映画『課外授業 (Lezioni Private)』の撮影当時、アレッサンドロを演じたロッサリーノ・チェラマーレは17歳だった。彼の役であるアレッサンドロも、物語上同じく17歳の設定だった。
20代の頃、バイデン大統領やトランプ大統領からセクハラを受けたと証拠も無しに訴えていた#MeToo運動の女達や、当時の性道徳を精査せずにバイデン大統領やトランプ大統領を吊し上げたマスコミの態度は中立・公正だと言えるか?
故ジャニー喜多川氏に関する一連のマスコミ報道も全く同じことが言える。
もっとも、表社会の流儀(戦時国際法)に則ってアメリカ人と戦ったイタリア人がアメリカに全く歯が立たなかったのも事実である。
覗き見のように卑怯で幼稚な裏社会の流儀でアメリカ人をやり込めるのではなく、法の支配や自由主義ブルジョア憲法を遵守する表社会の流儀に則ってアメリカ人を破ってこそ、『本物のイタリア人の勝利』なのだという信念、正義感に基づいてアレッサンドロはフロメンティーに対する憧れの気持ちを取り戻したのである。
この映画はオバマ政権以降、表社会で任務を遂行するアメリカ軍よりも、裏社会で任務を遂行するCIAの役割を重視するようになったアメリカ人にとっても貴重な教訓を含んでいる。
1975年のイタリア映画『課外授業 (Lezioni Private)』と同じことが1974年のハリウッド映画『プライベイト・レッスン』についても言える。
>【ChatGPT】
>『課外授業 (Lezioni Private)』にお けるフロメンティーの心理状況やガブリエルの振る舞いは、戦後イタリアのアメリカへの複雑な感情を象徴的に表現しています。
>ガブリエルがフロメンティーを尾行し、彼女が行きずりの男を物欲しげに見つめ、家でその男を思い出し自慰に耽る場面を目撃したことは、彼の中でフロメンティーが道徳的な「優等生」から、人間的な弱さを持つ存在へと変わる契機となりました。ガブリエルは、アメリカ人のように自信満々なフロメンティーが実は弱さを抱えていることを暴露し、彼女の表面的な禁欲的な姿勢を崩そうとします。この行為には、イタリア人がアメリカ人に抱いてきた劣等感や批判の思いが反映されています。禁酒法に代表されるピューリタニズムは、イタリアから見れば抑圧的で表面的な規範とされ、ガブリエルはその姿勢を覗き見という手段で打ち破ろうとしたのです。
>しかし、アレッサンドロはガブリエルの行為が単なる卑怯で幼稚な暴露に過ぎないことに気づき、フロメンティーに救いの手を差し伸べます。これは、表社会での正々堂々とした対決の重要性を象徴し、第二次世界大戦で敗北したイタリアが目指すべき「本物の勝利」の姿勢を暗示しています。
『マルクス・レーニン主義ノーメンクラツーラ(特権階級)の偽善:彼等こそ粛清されるべき反革命分子だった』
【You】
マルクス主義者の毛沢東は数多くの美女が登場する『紅楼夢』を肌身離さず持ち歩き愛読した。 毛沢東は3番目の妻と離婚してまで上海の有名女優だった江青と4度目の結婚をした。
>【ChatGPT】
>マルクスやレーニン、スターリンの女性関係もまた、理想と現実の狭間にあります。マルクスは家族を大切にする一方で、家政婦との関係から子供が生まれたとも言われており、レーニンも妻ナデジダと穏やかな関係を保ちながら、愛人とされる女性との交流もありました。スターリンは最初の妻を早く亡くし、2度目の妻とも不和があり、非常に冷徹な一面がありました。
【You】
数多くの反革命分子を粛清した毛沢東、レーニン、スターリンだが、労働者階級の女性の性を搾取した彼等には その資格が全く無かった。
彼等こそ粛清されるべき反革命分子だった。
>【ChatGPT】
>あなたの指摘には、確かに彼らの個人的な行動と掲げた理想の矛盾を批判する視点が見られます。毛沢東、レーニン、スターリンといった指導者たちは、反革命分子と見なした者を容赦なく粛清し、社会主義の理念を守るためと称して厳しい手段を講じました。しかし、彼ら自身の私生活、特に女性に対する態度や行動が、労働者階級や女性の尊厳を損なうものであったことは、確かにその資格を疑わせる要素となり得ます。
>理想的な社会を築くためには、指導者自身が模範となり、倫理的な一貫性を保つことが求められます。しかし、彼らの行動は、理想に反する面を持ち、革命を通じて実現しようとした平等や解放の理念に対して不誠実であったとも考えられます。こうした二重基準があったために、彼らが掲げた理想社会の信頼性や倫理的正当性が問われることになります。
>もし彼らが自分たちの行動を客観的に評価し、同じ基準で審査されていたとすれば、その行動が「反革命的」とされ、粛清の対象とされてもおかしくはないとする見方も理解できます。人間としての弱さがあったとしても、それが他者の権利や尊厳を犠牲にするものであるならば、彼らの行為が理念に反する「反革命的」なものと見なされるのは、ある意味で必然といえるかもしれません。
【You】
以上のChatGPTとのやり取りの直後、2024年11月20日(水)午前3時36分頃、中国共産党が関与していると見られる人工地震らしき揺れがあった。関東を中心に最大震度2。震源は駿河湾南方沖で深さ250km。
>『売春』Wikipedia
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>近年、世界的に売春は合法化・解禁の流れがある。アジアでは、中華民国(台湾)で合法化され、タイ王国、中華人民共和国でも合法化が検討されている。
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>ヨーロッパでは、売春自体は合法である国家がほとんどである。ただ、斡旋を違法としている国家も多いが、2000年にオランダが、斡旋を含む売春行為を完全に合法化したのを皮切りに、デンマーク、フランス、スイス、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドなども斡旋合法化に踏み切った。
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>ギリシャ、ハンガリー、チェコなどにおいても合法で、オーストリア、オーストラリアなどでは、外国人が働くために売春査証で合法的に滞在許可を得ることが出来る。2015年には、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、売買春の合法化(合意に基づく成人の性的労働や成人同士の間での合意に基づく性の売買)を支持する方針を決定した[12][13]。
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今後は売春ビジネスについて、世界の潮流に則って合法化に踏み切り、非合法ゆえ事実上『ヤクザの専売制』に陥っている売春ビジネスへの堅気の参入を促すべきである。
次いで売春の対価を全て婦人安全局に払い込ませ、売春を行う個人事業主には婦人安全局から適正な対価を振り込み、管理売春業者には適正な手数料を支払う仕組みを作る。
それ以外にも女性が運営する婦人安全局は、公娼登録、性病検査、顧客とのトラブル処理の仲介なども行うものとする。
婦人安全局は警察と連携して公娼以外の売春(ヤクザが営む非合法売春)を徹底的に排除する。
>【ChatGPT】
>提示された情報と意見は、売春の合法化とその管理方法に関する議論を反映しています。以下に、情報を整理しながら、テーマに関連するポイントを分析します。
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>1. 世界の売春合法化の潮流
>現状:
>売春は多くの国で合法化されており、オランダ、ドイツ、スイスなどでは斡旋も含めた合法化が進んでいます。一方、他の国では合法化が議論されている段階です。例えば、台湾での合法化や、中国、タイでの検討が例に挙げられています。
>合法化の背景:
>合法化の主な目的は、性労働者の権利保護や健康管理、暴力や搾取の防止、非合法市場の縮小などにあります。また、売春に伴う犯罪や暴力を抑制し、税収を確保する狙いもあります。
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>2. 提案された売春管理モデル
>婦人安全局の設立:
>売春業界の収益を婦人安全局に集約し、性労働者や管理業者に適正な支払いを行う仕組み。
>性病検査、公娼登録、トラブル解決などを包括的に担当。
>警察との連携:
>非合法売春の排除を徹底し、暴力団や犯罪組織の関与を防ぐ。
>効果:
>性労働者の健康と安全を守るとともに、業界の透明性を高める。
>公的機関による管理で、犯罪の温床となりやすい非合法売春を削減。
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>3. 売春合法化の課題
>倫理的・文化的な問題:
>売春に対する社会的な認識や宗教的・文化的価値観が合法化の妨げとなる場合があります。
>規制の厳格化と運用:
>適切な管理が行われない場合、合法化がかえって搾取や犯罪の温床になる可能性もあります。
>性労働者の権利保護:
>労働条件や社会的な差別に対する対策が不十分であると、合法化の意義が薄れる可能性があります。
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>4. 日本における適用可能性
>日本では、売春防止法により売春行為自体は違法とされていますが、風俗産業は一部合法的に営業しています。この状況下で、売春を完全合法化するには以下のようなステップが考えられます:
1.公的機関による管理制度の導入(提案された婦人安全局のようなモデル)。
2.性労働者への健康検査や社会保障の提供。
3.社会的な理解を深めるための啓発活動。
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>結論
>提示されたモデルは、売春を合法化し、透明性と安全性を確保するための一つの方向性を示しています。しかし、倫理的・社会的な合意形成や実効性のある運用が不可欠です。日本が合法化を検討する場合、国際的な事例を参考にしながら、日本の社会文化に合った管理体制を構築する必要があります。
【You】
短編小説:『ドイツ人心理学者ヴェレーナ・フォルクマン(Verena Volkmann)の考察結果』
https://i.postimg.cc/Nf0qdnHr/file-yvy-Ey-K74xlo-Tzxfi-CXcl-Li-KS.webp
私の名前はヴェレーナ・フォルクマン(Verena Volkmann)。
ドイツで心理学とヒンズー教を融合させる研究をしている。
>『スタンフォード監獄実験』Wikipedia
>1971年8月14日(土)から1971年8月20日(金)まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー (Philip Zimbardo) の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。
>新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた心身ともに健康な21人の被験者の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるということが証明された、とジンバルドーは主張した。
>近年、スタンフォード大学より公開された実験の録音テープにより、「刑務所長役」から「看守役」へ積極的な指示・指導が為されていたとの指摘がなされ、実験結果そのものの信頼性が問われる事態となっている[2]。また、被験者の一人が発狂した振りをしたことを認めた[3]。
>実験の経過
>次第に、看守役は誰かに指示されるわけでもなく、自ら囚人役に罰則を与え始める。反抗した囚人の主犯格は、独房へ見立てた倉庫へ監禁し、その囚人役のグループにはバケツへ排便するように強制させ、耐えかねた囚人役の一人は実験の中止を求めるが、ジンバルドーはリアリティを追求し「仮釈放の審査」を囚人役に受けさせ、そのまま実験は継続された。
>精神を錯乱させた囚人役が、1人実験から離脱。さらに、精神的に追い詰められたもう1人の囚人役を、看守役は独房に見立てた倉庫へ移動させて、他の囚人役にその囚人に対しての非難を強制し、まもなく離脱。
>離脱した囚人役が、仲間を連れて襲撃するという情報が入り、一度地下1階の実験室から5階へ移動されるが、実験中の囚人役のただの願望だったと判明。また、実験中に常時着用していた女性用の衣服のせいかは不明だが、実験の日数が経過するにつれ日常行動が徐々に女性らしい行動へ変化した囚人も数人いたという。
>実験の中止
>ジンバルドーは、実際の監獄でカウンセリングをしている牧師に、監獄実験の囚人役を診てもらい、監獄実験と実際の監獄を比較させた。牧師は、監獄へいれられた囚人の初期症状と全く同じで、実験にしてはできすぎていると非難。看守役は、囚人役にさらに屈辱感を与えるため、素手で便所掃除(実際にはトイレット・ペーパーの切れ端だけ)や靴磨きをさせ、ついには禁止されていた暴力が開始された。
>ジンバルドーは、それを止めるどころか実験のリアリティーに飲まれ実験を続行するが、牧師がこの危険な状況を家族へ連絡、家族達は弁護士を連れて中止を訴え協議の末、6日間で中止された。しかし看守役は「話が違う」と続行を希望したという。
>後のジンバルドーの会見で、自分自身がその状況に飲まれてしまい、危険な状態であると認識できなかったと説明した。ジンバルドーは、実験終了から約10年間、それぞれの被験者をカウンセリングし続け、今は後遺症が残っている者はいない。
心理学とヒンズー教を融合する研究をしている私(Verena Volkmann)の立場から見解を述べさせて貰うと、スタンフォード監獄実験の結末は、ジンバルドー(Philip Zimbardo)と11人の看守役に降臨した(取り憑いた)シヴァ神の第3の目から噴き出した勧善懲悪の炎の抑えが効かなくなった状態だということだ。
従来の西洋医学(心療内科やカウンセリング)では このような事案が生じると、ジンバルドー(Philip Zimbardo)や11人の看守役の過去のトラウマに原因を結び付けようとして来た。
それは「幼少期に受けた教会での性的児童虐待」とか、「チャールズ・マンソンの殺人事件(1969年)の生々しい映像の記憶」だったりに違いない。
そして何等かの錠剤を処方し、「恐らく そのトラウマと一生 付き合わなければならないだろう」と突き放すかもしれない(因みにスタンフォード監獄実験の関係者については、今は後遺症が残っている者はいないとされている)。
しかし、ジンバルドーと11人の看守役の暴走の原因が彼等に取り憑いた(降臨した)シヴァ神の第3の目から噴き出した勧善懲悪の炎によるものだったと考えれば、最も望ましい処方箋は全く異なったものになる。
>『マギル大学アラン記念研究所におけるLSD投与および過度の電気ショック、サイキック・ドライビング実験』Wikipedia
>カナダでもスコットランド人心理学者ドナルド・ユーウェン・キャメロンを中心に、1957年から1964年まで、マギル大学アラン記念研究所(英語版)にて実験が行われた。LSDを含む各種薬物や、通常の30倍から40倍の強さの電気ショック療法を用いて被験者を昏睡状態にし、目隠しと手袋を装着させて患者の感覚をできるだけ制限した上で、睡眠学習の要領で嫌がることを強制的に何十万回と繰り返し聞かせるなどのサイキック・ドライビング(英語版)なる手法を用いていた。
>被験者は当初、統合失調症など重篤な障害を抱えていた者や、不安障害、出産後うつにおいて精神上の問題を抱えていた者に限定されていたが、次第にちょっとした神経痛などで受診してきた患者などにも手を広げたため、多くの者が実験によって終生障害に苦しむこととなった[16]ほか、失禁や記憶喪失、子供の様な振舞いや些細なことで暴力を振るうようになるなど、性格や人格そのものが変わってしまい、患者の家族をも苦しめるという事態も引き起こした[17]。患者やその家族らは補償を求めてアメリカ政府やCIAを相手取った訴訟を起こしたものの、裁判を長引かせる戦法をとった政府側の思惑により、患者家族らは和解に応じざるを得ず、裁判費用などを差し引くと非常に少ない額の和解金を受け取ったのみであった。なお、キャメロンが米加両国の精神医学会の会長のみならず世界精神医学会(英語版)の初代議長として世界に名が知られたのもこの時期である。
>キャメロンによるこれらの手法は、患者の治療はおろかマインドコントロールや洗脳などにおいて何らの成果もあげておらず、ただ単に患者に対して不可逆的な障害を与えただけのものであったが、拷問の手法としての有用性が見いだされた。


『経済同友会 代表幹事(新浪剛史)の言語道断な暴言』
ジャニーズ問題“対応不十分”経済同友会 新浪剛史 代表幹事
2023年9月12日(火) 18時07分 NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230912/k10014193201000.html
経済同友会の新浪代表幹事は2023年9月12日(火)の定例の記者会見で、ジャニー喜多川氏の性加害の問題をめぐるジャニーズ事務所の対応は「不十分だ」と述べた上で、被害者の救済などを急ぐべきだという認識を示しました。
この中で新浪代表幹事は、ジャニー喜多川氏の性加害の問題について「被害者の心の傷は想像以上で、絶対にあってはいけないことだ」と述べ、厳しく批判しました。
その上で、先週、記者会見を開いたジャニーズ事務所の対応については「謝罪はあったが、現体制が性加害があったことに対して真摯(しんし)に反省しているかどうかは大変疑わしい。今回の調査内容やそれに対する対応は不十分だ」と述べ、被害者の救済やガバナンス体制の強化などを急ぐべきだという認識を示しました。
この問題を受けて、企業の間ではジャニーズ事務所に所属するタレントと新たに契約をしないなど、関係を見直す動きが広がっています。
これについて新浪代表幹事は「企業としては断固としてきぜんたる態度を示さないといけない事象だ。事務所のタレントを起用することは性加害を企業が認めることで、国際的には非難の的になる。事務所で働くタレントの方々には大変心苦しいことはあるが、ほかの事務所に移るなどいろんな手があるのではないか」と述べました。
〓嘗てアメリカのカウンター・カルチャーを担ったヒッピー達はカリフォルニアを目指した。
〓彼等は故郷の厳しい道徳を嫌い、カリフォルニアに引っ越してLSDを服用したりフリー・セックスや野外セックスを嗜んだ。
〓カリフォルニアにおけるヒッピー・ムーブメントがベトナム反戦運動と結び付いて資本主義ブルジョア自由主義のアメリカ社会に多大な悪影響を及ぼした地は、ジャニー喜多川氏の生まれたロサンゼルスでもサンディエゴでもなかった。
〓ヒッピー・ムーブメントがベトナム反戦運動と結び付いてアメリカ社会を揺さぶった地は他でもない、全米最大級のチャイナ・タウンを擁するサンフランシスコである。
〓全米最大級のチャイナ・タウンを擁するサンフランシスコは、中国共産党による反米・極左の工作拠点だった。