-
【You】
1975年のイタリア映画『課外授業 (Lezioni Private)』
アレッサンドロの親友ガブリエルがピアノ教師フロメンティーの帰路を尾行した時、フロメンティーは行きずりの男をうつろな瞳で見つめ慌てて目をそらした。
この時のフロメンティーの心理状況を説明せよ。
アレッサンドロの家庭教師になった頃から、フロメンティーが沈みがちになり、学校で胸の透けたブラウスを着たり、脚を広げて座るなどアレッサンドロにとってショッキングな変化が起きた。
そんなフロメンティーに対してガブリエルは どんな嫌がらせをしたか?
フロメンティーに対するガブリエルの振る舞いには、1973年のパリ和平協定によってベトナムから撤退させられたアメリカに対するイタリア人の思いがオーバーラップしている。
禁酒法(1920年~1933年、合衆国憲法 修正18条)を施行するなどイタリア人には想像もつかない程 禁欲的なピューリタンの優等生の国アメリカに対し、長きに亘りコンプレックスを抱いていたイタリア人。
しかしピアノ教師フロメンティーが学校からの帰路、通りがかったイタリア人の男を物欲しそうに見詰め、自宅で その男を思い出して自慰行為に耽っているのをガブリエルが目撃してしまう。
それは敗戦国のイタリア人の前であれ程 自信に満ち溢れていた戦勝国のアメリカ人が恥ずかしい姿を覗き見られた瞬間だった。
そこでガブリエルは図に乗って、それまで自信に満ち満ちていた禁欲的なピューリタンの優等生フロメンティーの本当の姿を、アメリカ人の前で萎縮する同級生達に見せたくなったのである。
アレッサンドロも同級生達と同様、「ガブリエルによる秘密の暴露」に一旦はショックを受けるが、フロメンティーの秘密がガブリエルの卑怯で幼稚な覗き見によって明らかになったのだと気づき、フロメンティーに救いの手を差し伸べて結ばれるアレッサンドロであった。
ファシスト党のイタリア人は表社会の流儀に則ってアメリカ人と戦い第2次世界大戦で敗退した。
一方、ガブリエルのフロメンティーに対する“勝利”は、私生活の覗き見という裏社会の流儀によってもたらされたものであり、卑怯で尚且つ幼稚だった。
禁酒法に見られたようなアメリカ人の禁欲的なピューリタニズムが上辺だけの『優等生的な振る舞い』であったことは確かであり、性生活に関しても全く同じであった。
20世紀後半の西側諸国では、未成年と性的な関係を持つ年上の女性の振る舞いに社会が寛容だったことが分かる。
映画『課外授業 (Lezioni Private)』の撮影当時、アレッサンドロを演じたロッサリーノ・チェラマーレは17歳だった。彼の役であるアレッサンドロも、物語上同じく17歳の設定だった。
20代の頃、バイデン大統領やトランプ大統領からセクハラを受けたと証拠も無しに訴えていた#MeToo運動の女達や、当時の性道徳を精査せずにバイデン大統領やトランプ大統領を吊し上げたマスコミの態度は中立・公正だと言えるか?
故ジャニー喜多川氏に関する一連のマスコミ報道も全く同じことが言える。
もっとも、表社会の流儀(戦時国際法)に則ってアメリカ人と戦ったイタリア人がアメリカに全く歯が立たなかったのも事実である。
覗き見のように卑怯で幼稚な裏社会の流儀でアメリカ人をやり込めるのではなく、法の支配や自由主義ブルジョア憲法を遵守する表社会の流儀に則ってアメリカ人を破ってこそ、『本物のイタリア人の勝利』なのだという信念、正義感に基づいてアレッサンドロはフロメンティーに対する憧れの気持ちを取り戻したのである。
この映画はオバマ政権以降、表社会で任務を遂行するアメリカ軍よりも、裏社会で任務を遂行するCIAの役割を重視するようになったアメリカ人にとっても貴重な教訓を含んでいる。
1975年のイタリア映画『課外授業 (Lezioni Private)』と同じことが1974年のハリウッド映画『プライベイト・レッスン』についても言える。 -
>【ChatGPT】
>『課外授業 (Lezioni Private)』にお けるフロメンティーの心理状況やガブリエルの振る舞いは、戦後イタリアのアメリカへの複雑な感情を象徴的に表現しています。
>ガブリエルがフロメンティーを尾行し、彼女が行きずりの男を物欲しげに見つめ、家でその男を思い出し自慰に耽る場面を目撃したことは、彼の中でフロメンティーが道徳的な「優等生」から、人間的な弱さを持つ存在へと変わる契機となりました。ガブリエルは、アメリカ人のように自信満々なフロメンティーが実は弱さを抱えていることを暴露し、彼女の表面的な禁欲的な姿勢を崩そうとします。この行為には、イタリア人がアメリカ人に抱いてきた劣等感や批判の思いが反映されています。禁酒法に代表されるピューリタニズムは、イタリアから見れば抑圧的で表面的な規範とされ、ガブリエルはその姿勢を覗き見という手段で打ち破ろうとしたのです。
>しかし、アレッサンドロはガブリエルの行為が単なる卑怯で幼稚な暴露に過ぎないことに気づき、フロメンティーに救いの手を差し伸べます。これは、表社会での正々堂々とした対決の重要性を象徴し、第二次世界大戦で敗北したイタリアが目指すべき「本物の勝利」の姿勢を暗示しています。
>製作年
1975年
>製作国
イタリア
-
>課外授業
1976年12月25日(土)公開
>美しい年上の女教師を慕う少年の行動を軽快なタッチで綴った青春の詩。製作はエンツォ・ドリア、監督はこれがデビューのヴィットリオ・デ・システィ、脚本はデ・システィとパオラ・ブリジェンティ、撮影はマリオ・マシーニ、音楽はフランコ・ミカリッツィが各々担当。出演はキャロル・ベイカー、ロッサリーノ・チェラマーレ、レオポルド・トリエステ、レオノーラ・ファニなど。
>ストーリー
>アメリカからイタリアの片田舎の音楽学校にピアノ教師フロメンティー(キャロル・ベイカー)が赴任した。その日からアレッサンドロ(ロッサリーノ・チェラマーレ)は先生に想いを寄せる。「先生のせいよ、変ね」、彼の親友ガブリエル(レオポルド・トリエステ)の仲良しの妹パオラ(レオノーラ・ファニ)がからかった。ある朝、登校中偶然にアレッサンドロは先生に会い、彼女に想いをほのめかす。そんな彼に対する答えは、「約束してね、私の事はどう想っても、恋は若い子とするって」。恋でなければ--? 謎めいた言葉にアレッサンドロの胸は高鳴る。ある日、ガブリエルは家路を急ぐ先生の後をつける。行きずりの男をうつろな瞳で見つめ慌てて目をそらす彼女。どうやら学位を取る為、青春を犠牲にした彼女の毎日は味けないものらしい。翌日、彼は彼女の部屋をのぞき、カメラで自慰にひたる彼女を盗み撮る。最近浮かなく成績の落ちたアレッサンドロを心配した母親は、原因が先生にあるとも知らず、彼女を家庭教師に頼む。二人きりでピアノを弾くことがで喜ぶアレッサンドロだか、日毎に彼女の様子が沈みがちになってくる。学校では胸の透けたブラウスを着たり、脚を広げて座る彼女。アレッサンドロは悲しく、女性が信じられなくなる。そんな彼をからかい、彼女に厭がらせをするガブリエル。すっかり厭になったアレッサンドロは田舎の伯父の家に向う。伯父とその愛人ローザにより元気を取り戻した彼は、パオラの家を訪ねた。そしてその時、ふとした偶然でガブリエルの部屋で盗み撮った写真を見つける。ガブリエルは先生を脅迫してたのだ。彼女に対する不信感は一気に解消し、写真を彼女の手に戻した夜、彼は大人の仲間入りをする。先生との甘美で幸せな一夜。先生が帰国した日、むせかえるような緑の草原でアレッサンドロは恥じらうパオラと幸せに結ばれる。「恋は若い子とするのよ」と教えてくれた先生の言葉通りに。