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【堕落の連鎖、あるいは歪んだ愛の終着】

夏の湿り気を帯びた夜、静まり返った住宅街の中で、その家だけが異様な熱気を孕んでいた。

娘の同級生であり、恋人同士だった拓也は、彼女が姿を消したあの日から、狂ったように街を歩き回っていた。警察も学校もあてにならない。胸を刺すような不安だけを抱え、彼女の家の前を通りかかったとき、拓也の耳に信じられない音が届いた。

「……っ、今の声は」

それは聞き間違いようのない、彼女の声だった。しかし、その響きは拓也が知る慎ましやかな彼女のものとは程遠い。歓喜と欲望が入り混じった、獣のような睦まじい喧騒。拓也はもどかしさに門扉を押し開けて敷地内へと踏み込み、玄関脇のインターホンを震える手で叩くように押した。

1 獣の瞳を持つ恋人
扉が開いた。そこに立っていたのは、紛れもない彼女の姿だった。

「ああ……良かった! 探したんだぞ、今までどこに……」

安堵の言葉は、彼女の姿を正視した瞬間に凍りついた。彼女は下着すら身につけておらず、その肌は誰かに強く掴まれたような赤みを帯び、瞳はかつての知性を失って濁っていた。彼女は拓也の顔を見ても、再会を喜ぶ風でも、恥じらう風でもない。ただ、飢えた肉食獣のような目で拓也の身体を舐めるように見つめると、細い腕からは想像もできない膂力で彼の胸ぐらを掴み、家の中へと引きずり込んだ。

「おい、どうしたんだよ! 離せ!」

土足のままリビングへと引きずり込まれた拓也の視界に、地獄が広がった。かつての温かな「家族」の姿はどこにもない。そこには全裸で絡み合う両親と、部屋の隅に転がる、もはや人間としての原型を留めない異臭を放つ「肉塊」たちがいた。

2 闇の中に潜む嘲笑
「ははは、期待通りのリアクションだ。青春だねぇ」

部屋の隅、影に溶け込むようにして、一人の男がソファに深く腰掛けていた。あの日、スタンドで見かけたあの不気味な男だ。男は拓也の絶望に満ちた表情を、極上のエンターテインメントでも鑑賞するかのように嘲笑っていた。

「お前……誰だ。こいつらを、彼女をこんな風にしたのはお前か!」

拓也の脳裏に、あの日スタンドで人々が豹変していった光景がフラッシュバックする。全ての元凶がこの男であると確信した拓也は、彼女の拘束を振りほどき、拳を固めて男に突進した。

「ふざけるな! 彼女を返せ!」

拓也の行動は勇敢だった。愛する者を救いたいという純粋な怒りが、その身体を突き動かした。しかし、男は避けるどころか、面白そうに目を細めて立ち上がった。

3 封印される勇気
拓也の拳が男の顔面に届く直前、男の手が蛇のような速さで拓也の手首を掴んだ。

「その『正義感』、邪魔なんだよね。もっと素直になりなよ。この家族みたいにさ」

「……がっ!」

男のもう片方の手が、拓也の額に吸い付くように叩きつけられた。手のひらの中に隠されていたのは、死の宣告にも等しいあの一片。

シールに書かれた文字は――「性欲の塊」。

「……っ」

拓也の脳内を駆け巡っていた怒り、使命感、そして彼女への献身的な愛情が、凄まじい熱量によって一瞬で蒸発した。視界が真っ赤に染まり、心臓の鼓動が耳元で爆音を奏でる。額を伝うシールの感覚が、彼の魂を「人間」から「器官」へと作り変えていく。

「あ、あ……あぁ……っ!」

拓也は崩れ落ちた。しかし、それは絶望からではない。全身を突き上げる、抗いようのない飢餓感に身悶えしたのだ。彼は、すぐ隣で自分を欲情した目で見つめている彼女を振り返った。先ほどまでの同情や悲しみは消え失せ、今や彼女は、自らの渇きを潤すための「最高の器」にしか見えなかった。

拓也は自ら服を引きちぎり、かつて愛した少女へと野良犬のように飛びかかった。

男はそれを見て、満足げに鼻歌を鳴らしながら玄関へと向かった。

「お幸せに。さあ、次はどこを『平和』にしようかな」

リビングからは、四人の獣たちが奏でる地獄の合唱が再び始まった。夏の夜、カーテンの隙間から漏れる光の中で、愛も倫理も、代用シールの粘着力によって永遠に封じられたのである。

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