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絶対本人たちに届くことはないのだろうけれど。
日本で唯一の「不祥事教員及び予備軍」のための自助グループ主催者として手紙を書くことにします。
もし何らかの方法で本人達に内容を伝えることが出来る方がいたなら、お伝え頂ければ幸いです。

以下本文

はじめまして。元不祥事教員のぬっぺふです。
私もかつて性的な不祥事をおこし、今でも不祥事防止研修で私のケースが取り上げられたりするような人間です。
今はなんとか仕事を見つけ、働く傍らで不祥事教員と予備軍のための自助グループを開いています。
そんな私に偉そうなことを言える義理は無いのですが、それでも貴方方の数歩先を進む先輩として、いくつか言葉をしたためてみた次第です。精神的に余裕のある時で構いません。一読いただけたならと思います。

…まず、貴方達がしてしまったことは周囲も叫んでいるように大きな罪です。その責任は取らねばなりません。そこから逃れようと目を背ける限り、予後は良くない。
しかし、責任を取るために自分自身と向き合い続けたならば。この件を機に落ちる憑き物もあります。

今、これまで積み上げてきたもの全てが崩れる不安を感じるでしょう。実際多くのものは崩れていく。
しかし、崩れ落ちた後に残るものがあったとすればそれは貴方の本当の財産になります。

不祥事をしてしまった自分と、善良であろうとした自分、頑張っていた自分の狭間で何が本当の自分だったかわからなくなるでしょう。
しかし、不祥事に至る道が実は現実への対処法の側面を持っており、「善良であろうとした自分」も「誤った対処法を身に着けてしまった自分」もどちらも自分であったことに気付き、「なぜそこに行き着いたのか」を自分の言葉で説明できるようになったときには、見える世界が変わります。

人生が終わってしまった気分になるでしょう。実際、終わらせることも出来る。
しかし、生き続けることが出来たならば、貴方の今いるところは起承転結で言えば転であり決して結では無かったことに気付きます。

貴方方のどん底は自分も味わったから少しはわかる。
貴方方の頑張りも、何となくわかる。
だから願わくば安易な結論や言い訳に流されず、とりあえず生きてみてください。

懲戒者でも雇ってくれる場所はあります。
不祥事を知りながら、友でいてくれる人も少数ながらいます。
懲戒されたことで新たに出会う友人もいます。

確かに貴方方は多くの人を傷付けた。だけれども、だからといって生きていてはいけないわけではない。この国の憲法も法律も貴方の生存権を保障しています。

人は絶望では変われません。絶望の中でも何か未来に希望を持つことが変わるためには大切になります。

今は気休めにしか聞こえない言葉かもしれませんが、同じ報道された不祥事教員として、いつか当座談会で会えることを願っています。

不祥事教員及び予備軍のための座談会
代表 ぬっぺふ

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