不祥事教員&予備軍の皆様へ

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元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士のぬっぺふです。
自身の経験を元に、不祥事を未然に防ぐため、また不祥事を起こしてしまった方の再起を支援するための活動をしています。
性に関する不祥事は特に人には相談しにくいものですが、出来れば戻れなくなる前に皆で対策を話し合ってみませんか?

なお、当掲示板に書き込む理由は
1本物の不祥事教員は不祥事教員という単語を検索できない
2予備軍はその事実を否認していることが多いためやはり不祥事を検索しない
3自身の発信力不足からTwitterでは該当者に繋がりにくい
→予備軍や再発可能性のある不祥事者が集いやすい掲示板への直接投下が最も効果的

との印象からです。
ホームページ上での相談や、ブログでの各種情報提供も行っています。
性的な問題だけではなく、パワハラ、依存症、生きにくさといった悩みに関しても取り扱っています。

なお、掲示板でのレスについても答えられる範囲は答えていこうと思います。よろしくお願いします。

HP

https://www.husyouji-kyouin.com/

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鬱病だと食欲や性欲が減衰するというのは絶対ではなく、依存で誤魔化しているタイプの場合はむしろ過食や過剰な性への耽溺などが起きることも。
そういう場合は精神科に行っても「抑うつ気味ですね」で終わってしまい、余計「じゃあこの辛さは自分の弱さか」と落ち込むきっかけになったりします。
精神科のスクリーニングは鬱の中でも特定の種類にしか該当しないこともあるので、本当におかしいと感じるときは全身全霊で困りごとをぶつけたほうがいい。

ともかく、鬱は自己否定に繋がり、自己否定は不遇感を強め、不遇感はやつあたりや復讐としての性加害にも影響します。確かに双極性障害が一番わかりやすく性犯罪に繋がりかねませんが、単極性の鬱も依存が絡むと一気に危険性が増すもの。
自分は鬱にならないと思わず、辛さを吐露できる相手を探して見て下さい。
それが性犯罪加害に傾きかけた心を止めてくれるかもしれません。

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ブログを更新しました。
月1回のカウンセリングと、性犯罪加害者向けのグループワーク、また自身が主宰する「不祥事教員および予備軍の座談会」で思ったことをまとめています。
ロリコンや、家族の呪い、一線を越えてしまったのは何故かという問い等について感じたことをまとめています。思索の一助となれば。

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新年度が本格的に始まります。
環境の変化は大きなストレス要因です。
また対等な人間関係を結ぶのが苦手なタイプ(同僚にも常に敬語とか)にとって、後輩は居心地がいい存在であるとともに、気を付けないと執着の対象になってやがてパワハラやセクハラといった加害行為に繋がることもあります。
ここからしばらくカレンダーの進みが遅くなったようなドタバタの時期になると思いますが、くれぐれもご自愛下さい!
不祥事を起こす人は不祥事自体には防衛機制が働き問題として認識できなくなっていても、今の生き方が何か間違っているのではないかという感覚には気付けていたりするもの。(下手に自己実現できてるとそこにすら気付けませんので一番危険)
忙しい時期だからこそ、学外の友人と話したりセルフケアを大切になさってください。

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あるキラキラしたアカウントの発言を受けて。

私はね。社会が子どもに成功体験を積ませたり、時には壁になってレジリエンスを高めてやる…そうしたことが出来なくなってきた現代だからこそ学校内でそうした経験を積めるようにすることが大切だと本気で思っていたよ。
そのためには使えるものは何でも使ったさ。
毎日朝から晩まで部活をやって。
練習試合では応援や声がけを使って生徒を鼓舞するとともに相手のテンションが上りきらないよう細工し、格上相手の勝利に繋げ。
文化祭は保護者にも許可取って10時とかまで一緒に作業して。
人権学習も当時は全く注目されていなかった分野を率先して取り上げ生徒の視野を広げるための種まきをしていったつもりだよ。
赤点取った生徒は毎日自習室開き、土日も相手した。時には家まで行ってテスト勉強を共にやった。

だけど、それらは生徒のためになっていたのだろうか?
私は彼等の人生を変えようと思っていた。けれどそれは相手の責任を奪う行為だ。たしかにいい思い出になった者もいよう。それを機に力をつけた者もいよう。だけれども、その影でそうした指導の本質に嫌悪感を示す者達がいたのではないか。私がそうした境界線を越えた関わりをしてしまうことで他の教員が指導しにくくなっていたのではないか。何より、彼等に「要領が悪いものは無茶するしかない」「やり遂げた自分を誇れ」といったメッセージをうえこみ、後者は「やり遂げられなかったものへの嘲り」にも繋がってしまったのではないか。

そうした働き方の結果私は不遇感をためこみ、公私の境界がない過度に生徒に近付いた働き方の中不祥事に手を染める。最早美しい思い出すらも汚してしまった。

今ならば思う。現状の学校現場で社会の代わりを全て果たすのは無理だ。一部の教員には近いことはできよう。でも、それすら何らかの代償を払ってのことであり、常に危うさは伴う。

だから学校は本来あるべき場所に責任を返していかなくてはならない。
部活をやるならば、生徒の自主的活動である点に重きをおき、生徒たちに自由と責任を返していく。学習する意欲の無いものを無理やり学校に留めるのではなく、本人の人生選択権を本人に返す。(無論、対話を通じて彼等の思考を具体化する為の産婆となる必要はあるが)

たとえば米農家が米で満足させられねえからと気付いたら不慣れなスポーツを教える教室をはじめ、肝心の米のクオリティは更に下がり食べた人に満足感を与えられなくなった。
ここで米屋を救済するために取るべき策は何だ。優先順位はなんだ。
不慣れなスポーツなんかせず、本業に励めるよえさうに支えることだろう。スポーツが子どもたちのためになるなら、米屋以外がやれば良い。

というか何故授業が生徒に大きな影響を与えている可能性を考えない?軽視してるつもりはない、部活などの意義を伝えてるだけだ?
そりゃ意義はあるよ。たから危険なんだよ。私みたいな存在をうむから。境界線を越えて指導にのめり込み、生徒に洗脳のような影響与えたり。距離の近さから過度に執着したり。

彼の言葉は嫌いじゃない。実直なプラグマティズム、まだ、痛い目をみていないがゆえの前向きな問題提起。その中に大切なものが沢山感じられるから私は彼へのフォローは消さない。
でも、貴方の、求める学校は実現しないと思うよ。教員の本業である授業の持つ、可能性を甘く見ているから。

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6月14日土曜日の15時半から池袋にて「不祥事教員及び予備軍のための座談会」を開催します。
前回は懲戒処分を受けたものの就職について様々な意見交換ができました。
不祥事を起こしてしまった方はもちろん、ふと我が身を振り返り「このままで自分は大丈夫なのか?」と不安に思った方も是非胸の内を語り合いましょう。

ジョハリの窓は、他者との対話を経て開かれていくものです。
今は「なぜこんなことに惹かれるのだろう」「こんなことで落ち込むのだろう」と理解できない化け物のような感情が、明るく照らされてみたら思春期の自分だった…なんてオチもよくあるもの。

なお、オンラインでの参加も可能です。ホームページ上から参加申し込みをお願いします。
また、不祥事教員の家族の方へは個別に相談に応じています。そちらもホームページ上からメッセージを頂ければと思います。
https://www.husyouji-kyouin.com/

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教員の盗撮グループLINEの件について様々な反応がある。それらを見て思うこと。

依存、不祥事、無職、福祉職、社会福祉士取得、自助グループ運営…と経験を積む中で教員時代より確実にシェマは広がった。
だからわかる。盗撮や幼児性愛といったものを「異常」とカテゴライズして見えない所に封じ込める限り、彼等の「普通という名のマジョリティ」への復讐は終わらない。

法的にも道徳的にも問題となる盗撮や幼児性愛、なんなら死体性愛ですら命という大きな枠組みの中では「異常」ではない。
そこに惹かれるメカニズムがあり、理由がある。しかしその理由は大くの場合認識できず、本人にとっても何故そこに惹かれるのかが分からないことが多い。
結果、当人達も性癖の種を「いけないもの」と人に見せないよう奥底に閉ざし、拗らせ続けてしまう。思春期を過ぎ何らかのきっかけで陽の目を浴びるころには、根はもう彼等の心の深くに根付いてしまっている。ゆえに厳罰や道徳を説くだけでは取り去りきれない。

「理由なら知ってる。男性優位の世界観だ」
「異性をモノとしてみている」
「自己肯定感がなくコンプレックスだらけ!」

聞きかじった知識でそんなことを叫ぶ人もいるかも知れない。でも大抵の人はこの3つに当てはまるでしょう。よくもまあ他人の褌で相撲をとるものだ。
…それは沢山あるレイヤーの中の、大衆的に最も理解されやすい部分でしかない。本当に本質的なものは個々人の体験に根付いており、それは安易に定式化できないものだったりする。詰まる所、本人が自分と向き合い気付きを深めていくしか性癖と付き合っていくことは出来ない。

だから我々はこう考えるべきなのだ。「異常な何者かが近くに忍び込んでいる」のではなく「異常の種を誰が抱えているか分からない」と。すると、対策は自ずと変わってくる。種が発芽しやすい経験とは何か。成長させてしまう環境とは何か。そうした問の答えを探っていくことだ。
これをやるためには、結局「異常」と見える人と向き合い、その人の「普通の部分と問題となった部分」を双方見ていかんと大切なことを見逃してしまう。

問題を起こした教員達はこれから自分の行動の結果と向き合い、再発防止のために嫌でも取り組むことになるだろう。
だが、彼等の「異常」に問題の根本を帰結させ、学校という環境、教員という働き方、それらの中に潜んでいる「異常を育ててしまう肥料のようなもの」を変えていくアクションをしていかない限り。
貴方の近くにいる誰かの中で、「異常の種」はまた育ち花開いていくことだろう。

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絶対本人たちに届くことはないのだろうけれど。
日本で唯一の「不祥事教員及び予備軍」のための自助グループ主催者として手紙を書くことにします。
もし何らかの方法で本人達に内容を伝えることが出来る方がいたなら、お伝え頂ければ幸いです。

以下本文

はじめまして。元不祥事教員のぬっぺふです。
私もかつて性的な不祥事をおこし、今でも不祥事防止研修で私のケースが取り上げられたりするような人間です。
今はなんとか仕事を見つけ、働く傍らで不祥事教員と予備軍のための自助グループを開いています。
そんな私に偉そうなことを言える義理は無いのですが、それでも貴方方の数歩先を進む先輩として、いくつか言葉をしたためてみた次第です。精神的に余裕のある時で構いません。一読いただけたならと思います。

…まず、貴方達がしてしまったことは周囲も叫んでいるように大きな罪です。その責任は取らねばなりません。そこから逃れようと目を背ける限り、予後は良くない。
しかし、責任を取るために自分自身と向き合い続けたならば。この件を機に落ちる憑き物もあります。

今、これまで積み上げてきたもの全てが崩れる不安を感じるでしょう。実際多くのものは崩れていく。
しかし、崩れ落ちた後に残るものがあったとすればそれは貴方の本当の財産になります。

不祥事をしてしまった自分と、善良であろうとした自分、頑張っていた自分の狭間で何が本当の自分だったかわからなくなるでしょう。
しかし、不祥事に至る道が実は現実への対処法の側面を持っており、「善良であろうとした自分」も「誤った対処法を身に着けてしまった自分」もどちらも自分であったことに気付き、「なぜそこに行き着いたのか」を自分の言葉で説明できるようになったときには、見える世界が変わります。

人生が終わってしまった気分になるでしょう。実際、終わらせることも出来る。
しかし、生き続けることが出来たならば、貴方の今いるところは起承転結で言えば転であり決して結では無かったことに気付きます。

貴方方のどん底は自分も味わったから少しはわかる。
貴方方の頑張りも、何となくわかる。
だから願わくば安易な結論や言い訳に流されず、とりあえず生きてみてください。

懲戒者でも雇ってくれる場所はあります。
不祥事を知りながら、友でいてくれる人も少数ながらいます。
懲戒されたことで新たに出会う友人もいます。

確かに貴方方は多くの人を傷付けた。だけれども、だからといって生きていてはいけないわけではない。この国の憲法も法律も貴方の生存権を保障しています。

人は絶望では変われません。絶望の中でも何か未来に希望を持つことが変わるためには大切になります。

今は気休めにしか聞こえない言葉かもしれませんが、同じ報道された不祥事教員として、いつか当座談会で会えることを願っています。

不祥事教員及び予備軍のための座談会
代表 ぬっぺふ

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7月をもって「不祥事教員および予備軍のための座談会」は無事1周年を迎えました。日本で初(多分まだここだけ)の不祥事教員を対象としたニッチな自助グループではありますが、当事者にしか見えない情報を持ち合うことで教員不祥事削減の一助となるよう善処する所存です。2年目も宜しくお願いします。

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8月の「不祥事教員および予備軍のための座談会(自助グループ)」は8月9日(土)15時半から池袋の貸し会議室にて行います。
オンラインでの参加も可能です。
質問や参加申込みはDMかHPから宜しくお願いします。

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