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教員の盗撮グループLINEの件について様々な反応がある。それらを見て思うこと。

依存、不祥事、無職、福祉職、社会福祉士取得、自助グループ運営…と経験を積む中で教員時代より確実にシェマは広がった。
だからわかる。盗撮や幼児性愛といったものを「異常」とカテゴライズして見えない所に封じ込める限り、彼等の「普通という名のマジョリティ」への復讐は終わらない。

法的にも道徳的にも問題となる盗撮や幼児性愛、なんなら死体性愛ですら命という大きな枠組みの中では「異常」ではない。
そこに惹かれるメカニズムがあり、理由がある。しかしその理由は大くの場合認識できず、本人にとっても何故そこに惹かれるのかが分からないことが多い。
結果、当人達も性癖の種を「いけないもの」と人に見せないよう奥底に閉ざし、拗らせ続けてしまう。思春期を過ぎ何らかのきっかけで陽の目を浴びるころには、根はもう彼等の心の深くに根付いてしまっている。ゆえに厳罰や道徳を説くだけでは取り去りきれない。

「理由なら知ってる。男性優位の世界観だ」
「異性をモノとしてみている」
「自己肯定感がなくコンプレックスだらけ!」

聞きかじった知識でそんなことを叫ぶ人もいるかも知れない。でも大抵の人はこの3つに当てはまるでしょう。よくもまあ他人の褌で相撲をとるものだ。
…それは沢山あるレイヤーの中の、大衆的に最も理解されやすい部分でしかない。本当に本質的なものは個々人の体験に根付いており、それは安易に定式化できないものだったりする。詰まる所、本人が自分と向き合い気付きを深めていくしか性癖と付き合っていくことは出来ない。

だから我々はこう考えるべきなのだ。「異常な何者かが近くに忍び込んでいる」のではなく「異常の種を誰が抱えているか分からない」と。すると、対策は自ずと変わってくる。種が発芽しやすい経験とは何か。成長させてしまう環境とは何か。そうした問の答えを探っていくことだ。
これをやるためには、結局「異常」と見える人と向き合い、その人の「普通の部分と問題となった部分」を双方見ていかんと大切なことを見逃してしまう。

問題を起こした教員達はこれから自分の行動の結果と向き合い、再発防止のために嫌でも取り組むことになるだろう。
だが、彼等の「異常」に問題の根本を帰結させ、学校という環境、教員という働き方、それらの中に潜んでいる「異常を育ててしまう肥料のようなもの」を変えていくアクションをしていかない限り。
貴方の近くにいる誰かの中で、「異常の種」はまた育ち花開いていくことだろう。

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