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>◆北畠家と伊勢

>南北朝期、北畠親房の子・**北畠顕能(あきよし)**は伊勢国司として伊勢国を領し、南朝の拠点とした。

>このことも、豊受大神=外宮の神威を北畠家の「護持神」とする流れを強めた。

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>■ 豊受大神が氏神とされた理由の意義

>観点 :内容

>政治的意味 :伊勢神宮=皇室の宗廟。南朝の「正統性」を神道的に補強。

>神学的意味 :伊勢神道において豊受大神は「至高神」であり、天照大神より上位に置かれることもあった。南朝=正統の根拠に利用。

>地理的基盤 :北畠家の伊勢支配と外宮勢力の連携は、豊受大神信仰を現実政治と結びつけた。

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>■ 補足:北畠親房の思想における神道的位置づけ

>北畠親房の代表作『神皇正統記』では、神武天皇から南朝に至る「正統の血脈」を論じており、天皇=神の子孫という伊勢神道的発想が通底している。

>親房の思想は仏教や儒教と調和しつつも、神道的正統性を政治理念の核に据えており、これは後の吉田神道や国家神道にも通じる。

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>■ 結論

>北畠親房の氏神は、伊勢神道(度会神道)において宇宙創成神とされる豊受大神(とようけのおおかみ)であると見なされる。

>親房は単に外宮を崇敬していただけでなく、政治神学としての伊勢神道を南朝正統論の支柱とした。その背景には、度会家行との密接な関係と、伊勢支配を通じた現実的な権力基盤の構築があった。

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