22 ヤクザの世界観に反抗した北畠顕家 2025/06/17(火) 03:08:00 ID:O.rBA9XE0 >◆北畠家と伊勢>南北朝期、北畠親房の子・**北畠顕能(あきよし)**は伊勢国司として伊勢国を領し、南朝の拠点とした。>このことも、豊受大神=外宮の神威を北畠家の「護持神」とする流れを強めた。>---https://i.supaimg.com/05d8de13-0926-4767-83e6-28a7afe5e69c.jpg>■ 豊受大神が氏神とされた理由の意義>観点 :内容>政治的意味 :伊勢神宮=皇室の宗廟。南朝の「正統性」を神道的に補強。>神学的意味 :伊勢神道において豊受大神は「至高神」であり、天照大神より上位に置かれることもあった。南朝=正統の根拠に利用。>地理的基盤 :北畠家の伊勢支配と外宮勢力の連携は、豊受大神信仰を現実政治と結びつけた。>--->■ 補足:北畠親房の思想における神道的位置づけ>北畠親房の代表作『神皇正統記』では、神武天皇から南朝に至る「正統の血脈」を論じており、天皇=神の子孫という伊勢神道的発想が通底している。>親房の思想は仏教や儒教と調和しつつも、神道的正統性を政治理念の核に据えており、これは後の吉田神道や国家神道にも通じる。>---https://i.supaimg.com/b6b645b3-a611-4cf8-afa6-4f9003849cea.jpg>■ 結論>北畠親房の氏神は、伊勢神道(度会神道)において宇宙創成神とされる豊受大神(とようけのおおかみ)であると見なされる。>親房は単に外宮を崇敬していただけでなく、政治神学としての伊勢神道を南朝正統論の支柱とした。その背景には、度会家行との密接な関係と、伊勢支配を通じた現実的な権力基盤の構築があった。 3 0
>◆北畠家と伊勢
>南北朝期、北畠親房の子・**北畠顕能(あきよし)**は伊勢国司として伊勢国を領し、南朝の拠点とした。
>このことも、豊受大神=外宮の神威を北畠家の「護持神」とする流れを強めた。
>---
https://i.supaimg.com/05d8de13-0926-4767-83e6-28a7afe5e69c.jpg
>■ 豊受大神が氏神とされた理由の意義
>観点 :内容
>政治的意味 :伊勢神宮=皇室の宗廟。南朝の「正統性」を神道的に補強。
>神学的意味 :伊勢神道において豊受大神は「至高神」であり、天照大神より上位に置かれることもあった。南朝=正統の根拠に利用。
>地理的基盤 :北畠家の伊勢支配と外宮勢力の連携は、豊受大神信仰を現実政治と結びつけた。
>---
>■ 補足:北畠親房の思想における神道的位置づけ
>北畠親房の代表作『神皇正統記』では、神武天皇から南朝に至る「正統の血脈」を論じており、天皇=神の子孫という伊勢神道的発想が通底している。
>親房の思想は仏教や儒教と調和しつつも、神道的正統性を政治理念の核に据えており、これは後の吉田神道や国家神道にも通じる。
>---
https://i.supaimg.com/b6b645b3-a611-4cf8-afa6-4f9003849cea.jpg
>■ 結論
>北畠親房の氏神は、伊勢神道(度会神道)において宇宙創成神とされる豊受大神(とようけのおおかみ)であると見なされる。
>親房は単に外宮を崇敬していただけでなく、政治神学としての伊勢神道を南朝正統論の支柱とした。その背景には、度会家行との密接な関係と、伊勢支配を通じた現実的な権力基盤の構築があった。