608 名無しさん
609 名無しさん
>>608
読み返すとえらく無責任、無反省な感じなので補足。
被害者への謝罪と贖罪は絶対に大前提でそこから始まる。
事件直後は家族や社会的な地位の喪失するかもしれないとの絶望、何より捜査へ恐怖が中心になってしまうが、その後は被害者に対して、犯罪行為の結果どういう状態や心境になったかを自問、自覚して、とんでもないことをしてしまったと深く深く反省する。
カウンセリングでも、自分の観点からの反省ではなく、被害者の立場になるスタディで、自分が何をしたのかをしっかり考えることになる。
それが再犯への抑止の一つになるのは間違いないし。
だから被害者なんてどうでもいい、なんて普通の人間なら絶対ない。
でも、被害者に性犯罪をしてしまった自分は生きている価値なんてない、社会生活を送る資格はない、と立ち止まって沈み続けてても意味がない。
どうすれば被害者は許してくれるか、なんて考えても無駄。
許してなんてもらえないんだから。
そもそも反省は許しを請うためにするんじゃなく、自分を省みて二度と同じ過ちを犯さないためにするんだと思う。
被害者に申し訳ない、と思うのは必須で、被害者なんて忘れるというわけではないけど、もう自分とは違う世界の被害者のことを常に自分の中心に置き続けるのは、やっぱり難しいのが実際だと思う。


実際のところ、被害者に対する謝罪の思いは次第に薄れていく。
法的な裁きを受け、示談したらこれ以上加害者側に出来ることはなく、その上接触しないとか示談の要件になるから、本当に正直なことを言うと、被害者はもう自分に関わりのない存在になるんで、そういう人間のために常に反省し続けるなんて正味なところ不可能。
時々思い出して申し訳ないことをしてしまったって反省する、というのが実際だと思う。
再犯しないのは、日々接してる、自分を支えてくれる人に対する申し訳なさや、その人たちをもう悲しませたくないっていう気持ちが一番なんだよな。
カウンセリングとかでは被害者への謝罪の気持ちを忘れてはいけない、それを胸に刻み続けろ、と言われるけど、人間は忘却の生き物。
日々接していない、もう自分からは遠い世界の人間に対し、自分の行動が原因とはいえ、常に申し訳なさを忘れない、というのはある意味病んだ人間にしか出来ないと思うんだよな。
こういうこと言うと反省が足りない、と言われるかもしれないけど。
時々思い出して反省する、というのが通常できる最大限だよ。