46 国際人権B規約を無視する大バカ日大教授は中国共産党と同レベル 2026/07/03(金) 21:43:02 ID:kN4iGWYU0 〓天武·持統天皇によって7世紀に五性各別を根本教義とする法相宗の薬師寺が建立され、『(天照皇大神を皇祖神·至高神と位置づける)大和神道と(五性各別を根本教義とする)法相宗の神仏習合』が確立。〓五性各別を根本教義とする法相宗の清水寺を建立し蝦夷(えみし)討伐に出陣した征夷大将軍·坂上田村麻呂が西暦802年、東北の蝦夷(えみし)の酋長である阿弖利爲(アテルイ)を降伏させた。〓五性各別を根本教義とする『法相宗』と法華一乗(=涅槃経<大般涅槃経だいはつねはんぎょう>の『一切衆生悉有仏性』)の『天台宗』が鋭く対立した三一権実諍論(西暦817年〜西暦821年)。〓その後 天台宗は東北各地に寺院を建立して布教活動を行ったが、数百年が経過しても依然として説法により蝦夷(えみし)を善導するミッションをクリアできず、前九年の役(西暦1050年〜1062年)や後三年の役(西暦1083年〜西暦1087年)など大和朝廷に対する東北の蝦夷(えみし)の反乱が繰り返された。〓そこで五性各別の法相宗に帰依し大和朝廷を統率する藤原摂関家が指名した河内源氏の征夷大将軍によって、蝦夷(えみし)討伐が行われたのである。〓14世紀には、いつ暴発するか分からない根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)が、有ろうことか、鎮守府将軍·北畠顕家を担いで繰り返し畿内に雪崩れ込み、道中、大和民族に対する凄まじい略奪を行った。〓16世紀末までに会津出身の蝦夷(えみし)である南光坊天海が既に天台宗を乗っ取ってしまった。〓朝廷から全権を委任されて蝦夷(えみし)を討伐する戦時の総司令官である征夷大将軍となった徳川は、戦国乱世の成り上がり者であった。〓古代より繰り返される東北の蝦夷(えみし)による反乱の深刻さを理解できない成り上がり者の徳川は代々、蝦夷(えみし)を討伐する戦時の総司令官に任命されながら、初代の家康以降、会津出身の蝦夷(えみし)である天台宗の南光坊天海 等に完全に丸め込まれ、幕末まで遂に一度も蝦夷(えみし)討伐を実行しなかった。〓あまつさえ水戸の徳川光圀が編纂を強行した『大日本史』は、根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)が、有ろうことか、鎮守府将軍·北畠顕家を担いで繰り返し畿内に雪崩れ込み、五性各別の法相宗に帰依して河内源氏を歴代征夷大将軍に任命、蝦夷(えみし)討伐に当たらせた藤原摂関家を排除して天皇親政を実現しようという大逸れた暴挙に出た大覚寺統を正統と決めつけた。〓すなわち、『(天照皇大神を皇祖神·至高神と位置づける)大和神道と(五性各別を根本教義とする)法相宗の習合』を確立した7世紀の天武·持統天皇に反抗して、『豊受大神を天御中主神·国常立神と同一視し、至高神として天照皇大神と同等以上に位置づける伊勢神道(度会神道)と法華一乗(=涅槃経<大般涅槃経だいはつねはんぎょう>の『一切衆生悉有仏性』)の天台宗の習合』に傾倒した挙げ句、自然消滅への坂道を転げ落ちた大覚寺統を無理矢理 正統と位置づけたのが水戸光圀の『大日本史』である。 1 0
〓天武·持統天皇によって7世紀に五性各別を根本教義とする法相宗の薬師寺が建立され、『(天照皇大神を皇祖神·至高神と位置づける)大和神道と(五性各別を根本教義とする)法相宗の神仏習合』が確立。
〓五性各別を根本教義とする法相宗の清水寺を建立し蝦夷(えみし)討伐に出陣した征夷大将軍·坂上田村麻呂が西暦802年、東北の蝦夷(えみし)の酋長である阿弖利爲(アテルイ)を降伏させた。
〓五性各別を根本教義とする『法相宗』と法華一乗(=涅槃経<大般涅槃経だいはつねはんぎょう>の『一切衆生悉有仏性』)の『天台宗』が鋭く対立した三一権実諍論(西暦817年〜西暦821年)。
〓その後 天台宗は東北各地に寺院を建立して布教活動を行ったが、数百年が経過しても依然として説法により蝦夷(えみし)を善導するミッションをクリアできず、前九年の役(西暦1050年〜1062年)や後三年の役(西暦1083年〜西暦1087年)など大和朝廷に対する東北の蝦夷(えみし)の反乱が繰り返された。
〓そこで五性各別の法相宗に帰依し大和朝廷を統率する藤原摂関家が指名した河内源氏の征夷大将軍によって、蝦夷(えみし)討伐が行われたのである。
〓14世紀には、いつ暴発するか分からない根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)が、有ろうことか、鎮守府将軍·北畠顕家を担いで繰り返し畿内に雪崩れ込み、道中、大和民族に対する凄まじい略奪を行った。
〓16世紀末までに会津出身の蝦夷(えみし)である南光坊天海が既に天台宗を乗っ取ってしまった。
〓朝廷から全権を委任されて蝦夷(えみし)を討伐する戦時の総司令官である征夷大将軍となった徳川は、戦国乱世の成り上がり者であった。
〓古代より繰り返される東北の蝦夷(えみし)による反乱の深刻さを理解できない成り上がり者の徳川は代々、蝦夷(えみし)を討伐する戦時の総司令官に任命されながら、初代の家康以降、会津出身の蝦夷(えみし)である天台宗の南光坊天海 等に完全に丸め込まれ、幕末まで遂に一度も蝦夷(えみし)討伐を実行しなかった。
〓あまつさえ水戸の徳川光圀が編纂を強行した『大日本史』は、根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)が、有ろうことか、鎮守府将軍·北畠顕家を担いで繰り返し畿内に雪崩れ込み、五性各別の法相宗に帰依して河内源氏を歴代征夷大将軍に任命、蝦夷(えみし)討伐に当たらせた藤原摂関家を排除して天皇親政を実現しようという大逸れた暴挙に出た大覚寺統を正統と決めつけた。
〓すなわち、『(天照皇大神を皇祖神·至高神と位置づける)大和神道と(五性各別を根本教義とする)法相宗の習合』を確立した7世紀の天武·持統天皇に反抗して、『豊受大神を天御中主神·国常立神と同一視し、至高神として天照皇大神と同等以上に位置づける伊勢神道(度会神道)と法華一乗(=涅槃経<大般涅槃経だいはつねはんぎょう>の『一切衆生悉有仏性』)の天台宗の習合』に傾倒した挙げ句、自然消滅への坂道を転げ落ちた大覚寺統を無理矢理 正統と位置づけたのが水戸光圀の『大日本史』である。